「ここのお母さんたちとの頻繁なLINEもなくなっちゃうんだろうなあ」

それは、確かだった。
そりゃそうよね。
週1会えてるだけマシなんだろうけど、なんだか私も私がわからなくなるくらい価値観変わっちゃったし、たぶん世界的なものも変わって、それぞれも少しずつ変わってしまったんだろう。
会えても、すごく雰囲気が変わってしまった。
私だけが疎外感になるのは仕方がないと思わなきゃいけないんだろうとは思ってたけど、なんかそれとも違う感じの、空中分解感。
そしてその分解が遠くに見えながら、一方向からしか状況はわからず、詳細はわからず、なんとかしたいと思って出した手はやんわり払われた。
そんな感じ。
なんとかしたかったけど、私になんとかなんてできるはずもない。
そうなんだよね。
話すのがなぜか1番気楽だったし、「なんか似てるよね」ってよく言ってくれてたし私も思ってたから、すっかり気を許しちゃって信用しちゃってたけど、まあ、そうよね。
『私のお友だち』ではなく、『たった1年間子どもが同級生だったご近所のお母さんの1人』だったんだよね。
馬鹿だなー私は。つくづく。
そんな簡単に信用なんてしちゃいけなかったんだ。
長年自分と思ってた自分すら信用できないのに、たかが1年間の付き合いの他人なんて、そりゃあ信用なんかしていいはずがない。

…すごい孤独感。
所詮、生き物は個。単。孤。


某イベントがあって、あっちゃんの新しいお友だちのお母さんたちがその有益な情報を教えてくれた。
とても感謝を伝えておいた。
ついさっきまでは『あー。さすがに3年かけて出来上がった前ほどの人数でも濃さでもないにしても、こうやって知ってる情報くれる人と知り合えて、教えてもらえるようになれてよかったな』と思えてたのに、
終わって帰ってきて落ち着いたら、急に寂しくなった。

規模が違うから、個人が薄く感じる。
あっちゃんにはもうちょっと、あとちょっと育つまで、少数精鋭の中で個性を鍛えて欲しかったと思えてならない。
いつかはそれにならざるを得ないとしても、寄せ集めの大人数の中の個性のない1人になるには、まだ幼くてもったいなかったと思う。


あれだけいるのに、私が知ってる子が極端に少ない(あっちゃんはもう同じクラスや近所の子は名前も顔も把握してお友だちなんだろうけど)。
親御さんに至ってはほぼ知らない。
あれだけいて、挨拶どころか顔見知りにも会えない。
知ってる先生もクソ担任しかいない。


…わかってたことだけど、孤独感は思った以上。
考えが甘かったけどこんな散り散りになっちゃうと思わなかったし、こんなに孤独と思うとは思わなかった。

入園前から入園直後の私にはきっとここのほうが逆に楽だったろうと思う。
集まりがあろうがしれっと消えてもバレなかっただろうし、そもそも出なくても浮くことなくぜんぜんアリだっただろうし。
責任も軽かっただろう。
だけど、あんな濃密な関係性で慣れちゃったら、急に寂しい。
知ってる人がいない…。

…楽。
楽だけど、わからないことだらけだし、あっちゃんの学校生活も見えないままだし、お友だちの子の顔もほとんど知らない(会ったことあってもマスク姿なのもあって)。

「あっちゃんのおかーさーん!」ってにっこにこで呼んでくれる子もいっぱいいたのに、ここではそんな子皆無。
今日は、にっこにこで手を振ってくれたお友だち(こっちが声かけても声を返してはくれなかった…)は、1人。
おばちゃん、いつの間にか『あっちゃんのおばちゃん』で、あっちゃんのお友だちで知ってる子とコミュニケーション取れないと寂しくなるおばちゃんになってた。

私の障害的に考えれば、確実にこの環境のほうが楽なはずだけど、
ちょうどいいバランス(崩れかけではあったけど)をギリ保ってたのを思い出すと、悲しくなる。

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