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今更ながら、
今年のゴールデンウィークは2、3週間前からずーっと体調不良続きだった。
あっちゃんが下るわ吐くわの激しい胃腸風邪をひいた。
数日遅れて私も同じ症状が出て、完治しきらないあっちゃんを見ながら自分もヘロヘロで結構きつい1週間ほどを過ごした。
やっとやっとで体調が戻ったと明確に思ったのは1日。
「健康って素晴らしい!!」とか言ってた次の日には膀胱炎っぽい症状と頭痛に苦しめられ始めた。
吐き気もあったし最初は膀胱炎とひどめの肩こりなのかと思った。
ひどい寒気もして熱を測ると、たしか8度くらいあった。
膀胱炎がこじれて腎盂炎になったか?とまた病院に行ったけど、「軽く腎盂炎なりかけ」と言われて、あまりに体調が悪いので点滴してくれた。
けど、良くなったのはその場だけですぐ悪く戻った。
もらった薬を飲んでもあんまり効き目を感じなかった。
膀胱炎っぽさはだんだん消えた…っていうか、そんなのわからなくなるくらい頭が痛くて吐き気で動きたくない。すごいだるい。そして寒気。
熱は下がらず8度や9度を行ったり来たり。
平日、一人であっちゃんを見れる自信がなくておかんを呼んで、すごく助かったけど、その間に病院に行く気になれなかった。あまりに調子が悪すぎて寝てるだけでいっぱいいっぱい。
起き上がるのもだるくて、ただ寝ていたかった。
もちろんごはんもほとんど食べられない。1日でりんご半分とか、ヨーグルト一個とかの毎日。
どうにもつらくて夜病院に連れてってもらったら、駐車場から本気で歩けなくて車椅子を借りてもらった。
そしてまた点滴。
このときはもう点滴終わってもギリギリ歩ける、くらいまでしか良くならなかった。
家に帰ると今回の一連で初めて吐いた。
何度かえずくことはあっても吐き気ばかりで実際には吐けなかったのに、とうとう吐いた。
となると、もう何度でも来る。
気持ち悪くてなにも食べたくも飲みたくもないけど、水分が不足すると思いながら1口水を飲むと倍以上の量を吐く羽目になるのを一晩続けて、朝にはぐったりだった。
もちろん眠れなかった。
おかんに朝から来てもらってあっちゃんを見ててもらって、コロコロに連れられて総合病院に。
まず内科で診てもらうと「これは…、膀胱炎や腎盂炎もあったのかもしれないけどそれはもうほぼ治りかけで、それより髄膜炎とか、脳神経のほうじゃないかな」と言われる。
そしてとりあえず尿とったり血をとったりすることになったけど、血の前にインフルエンザを一応調べようと看護師さんに鼻に綿棒つっこまれたら、それがとてつもなく痛かった!
頭痛がひどかったからなのか下手だったのかはわからないけど、何度かインフルエンザの検査やったことあったけど、あんなに痛かったことってなかった。
「あがががっ!!」とか言っちゃうくらい。
そして息つく間もなく続けざまに採血と点滴のための注射針。
食べてない、飲んでない、具合最悪で、とにかくとれない。
指先は最初から痺れてた。なんなら2、3日前からずっと。
左に数回刺して「とれませんね、右でもいいですか?」と右にも刺すけどやっぱとれない。
だんだんきつくなってきて「横にならせてもらえませんか?」と横にしてもらったらどんどん手が痺れて、脇の下を圧迫したような、両手が縮こまって開けない状態になり出した。
最初はなにが起こったかわからず、パニックになった。
息も苦しい。
手が指先は完全にいうことをきかなくなって、勝手に縮こまったグーになって爪がどんどん手の皮膚に食い込んで痛い。自分の手なのにまったく指を開けない。痛い。
慌てるほどに手はぎゅうぎゅう縮まって、痛みが増して、息がはあはあなって苦しい。
看護師さんが「息をゆっくりして!! すーーー… はあーーー… ゆっくり!!」ってわめいてたけど、どんなに頑張っても頑張っても、途中で焦りや恐怖や痛みやなんかではあはあなってしまってゆっくり深呼吸出来ない。
もうどうすりゃいいのかわからなくて、息切れ切れで「助けて」とか連呼してしまっていたけど、カーテン一枚向こうはどんどん人が来る採血室。
あとでコロコロに聞いたけど、私がうめいたり「助けて」ってわめくたびに、血をぬかれてる人たちがビクッとしてたって。
そりゃそうだよね、ただの採血室のはずなのにカーテンの向こうはなにされてるのかと思うよね、ごめんよ。私も必死だったんだよ…。
「助けてあげるから! ゆっくり息して! ゆっくり息するしか楽になれないの! ゆっくり!ゆっくり!大丈夫!」「酸素とか、なんか、楽になれるもの、ないですか? 苦しい、痛い、暑い…」「今この状態で酸素なんて吸ったらもっと苦しいよwww 酸素入り過ぎでそうなってるんだから! 過呼吸はとにかく息を吐かなきゃ」「苦しいー…」「とりあえず採血して検査に出さなくちゃ手の施しようがないから、ゆっくり息して、もうちょっと力抜けないととれないからね、ゆっくり」
初過呼吸だった。
あんなに恐ろしいものだったとは…。
苦しくてつらくて、もう意識ぶっ飛ばしてくれ!ってずーっと思ってた。
たぶん酷かったのは二、三十分?もっと?時間感覚は長く長く感じた。
ぜーはーぜーはーして、ちょっとだけ息を落ち着けることができてきたら、「点滴さえ入れちゃえば楽になれるから! 血管がキュってなっちゃうからすぐとれなくて痛いかもしれないけど、ゆっくり息して頑張って! 点滴が入れば楽になれるからね!」となんとかかんとか採血して点滴を入れてくれた。
その後、頭の輪切り機械やって異常はないと言われて、腰椎穿刺という、腰の背骨のあたりから髄液?を取り出す検査。
それをやると聞かされたとき、『え? それって、すっげえ痛えって話の検査じゃなかったっけ?』と思った。
コロコロに話してみると「いや、まあそうだろうけど、今のお前の具合じゃそんなもん、大して痛くも感じないと思うぞ? もう既にあちこち痛くてひどい吐き気なんだから」と言われて、『たしかに』と妙に納得してちょっと気持ちが落ち着いた。
どこかが悪くて入院か処置だけかというような、似た境遇の数人がカーテンだけの仕切りのストレッチャーで寝ている部屋で、腰椎穿刺。
横向きに丸くなれって言われて、腰周りになにやらガーゼ的なものをいっぱい貼ったり敷いたりされて、まず麻酔。
たしかに大して痛く感じなかった。
3年前毎月されてた注射のほうがよっぽど痛かったなと思ってたら「なにかあったら、動かず言葉で反応してください、ずーんときますよ」って言われて、なんだか体深部の、触ってはならない領域にがっつり触っちゃったようななんとも言えない痛みっていうか、なんていうか、とにかく不快な感触が背中っていうかお腹っていうか、体の奥に感じた。
「痛いです!」「はい、…どうですか?」「…わからなくなりました」「麻酔足しましたからね、じゃあこれから●㏄とりますよ」
時間感覚はあんまりわからなかったけど、数分?
とってる間?は、痛くなかった。怖さだけ。
「針抜きますよ、これでもう痛いことはないですからね、あとは楽しいことでも考えててください」
って言われて、ちょっと和んだ。
腰の針かなんか刺したところにガーゼ貼られたりした後、1時間、頭も体も動かさないで真っ直ぐその体勢のまま寝てろと言われたけど、それがきつかった…。
その間もいろんな先生がちょこまか細かいこと、いつから痛いとかどこが痛いとか聞きに来て答えなきゃならないし、首もちょっと体勢変えたいけど「頭動かすとひどい頭痛の原因になるから」と言われてて、恐ろしくてぷるぷる我慢した。
動けない1時間は長かった。
検査の結果髄膜炎ってことで「2週間くらい入院ね」って言われて、予想以上でびっくりした。
家が回らない!と焦ったけど、結局はコロコロのお母さんとおかんとでなんとかやってくれて、あっちゃんはなんやかんや楽しく元気に過ごしていた。

入院中の最初の3、4日は地獄だった。

吐き気と頭痛が悪化。
頭がガンガンズキンズキンし続けて、目が開けていられない。
体を少し動かすとその痛みが更に倍増。
寝返りも気軽には出来ない。
その動けない感じは、痛い部位は違うけど陣痛みたいだと思った。
起き上がると頭の痛みでどうしようもなくなる。
ごはんが来ても起き上がる気持ちになれなくて一口も食べられない時もあったし、食べてて痛いからお腹は減ってるけど諦めたこともあった。
もぐもぐ噛むとそれも頭痛に繋がるから、一番固形物がないすべてミキサーにかけられた病院食になった。
おかゆもあっちゃんの離乳食の初期みたいなノリみたいなほとんど液体で、おかずもみんな原形の跡形のないとろみの液体で、白一色のお皿、オレンジ一色のお皿、緑一色のお皿が並んでて、子供の頃に小学館の雑誌で見た宇宙食みたいだった。
味はそれぞれおいしかったけど、ドロドロ過ぎて食べにくかった。

入院3日目にまた腰椎穿刺で数値を見ようと先生に言われて、看護師さんたちが車椅子を持ってきてくれたけど、起き上がると頭が痛くて痛くてどうしようもなかった。
検査の部屋までもたなかった。
病室からエレベーターホールまで押してってもらったところで限界。
「ごめんなさい、座っていくの無理です、頭痛いし、もう吐きそう」
すぐバケツをもたされた。
看護師さんたちが「きつそう… これで行くのは無理そうですよね… どうしましょう… ●●室ストレッチャー入ります?… と、とりあえずお部屋に帰りましょうか?」とか話し合ってるのがガンガンの頭痛の遠くに聞こえてて、吐けなかったけど病室のベッドに横になるまでずっとぐえぐええずついてた。
結局その日の検査は流れた。
安静にしてろって、言われなくても痛くて痛くて横になって極力動かないで黙って目をつぶってるしかできなかった。
夕方おかんがおばあちゃんを連れて来たけど、ほとんど姿を見ることもできなかった。目が開けられなくて。
ちょっとした物音でも頭痛に繋がって、話すのもきつかった。
「つらそうだからまた来るね」と5分も居ないで帰った。
申し訳ないけど、状況読んで気を回してすぐ帰ってくれてありがたかった。
後で聞いたらおかんもおばあちゃんも「あのときはもう顔つきも変わっちゃっててあんたじゃないみたいだった、大丈夫なのか怖かった、あの日は眠れなかったよ」って言ってた。
トイレに起きるのも頭ズキンズキンして、決心して行かないと行けなかった。水とかほとんど飲めなかったけど、点滴で水分はどんどん入ってくるから出すものは出さなきゃならない。
点滴引きずってゆっくりゆっくりトイレに向かって、って、病室の中にトイレあったからベッドからたった10歩くらいの距離なんだけど、その10歩が地獄の痛み。
そしてやっとやっとでトイレに座ると頭痛があまりにも酷くて、意識がぶっ飛びそうになる。
用が済んでちょっとひと安心する。
でもそこで終わりじゃなくて、また痛いのに歩いてベッドに戻らないとならない。
髄液を取ったから、減った分の圧?が変わって?、体や頭を動かしたりするとその圧が影響して酷い頭痛がする、みたいなことを看護師さんに聞いた。
体感して、言ってることは薄らぼんやりわかった気がした。

何日かしてだんだん良くなっていって、「ああ、良さそうですね、初めて笑顔が見られてよかった!」って何人もの看護師さんに、担当の先生にも言われた。
最初からずーっとさぞかし険しい顔してたんだろう。
体調が良くなってきても、原因は見えないところのことだから検査しないとわからないのですぐには退院できなかった。
私もまたあの頭痛と吐き気は怖かったし。
1日ぐだぐだ携帯いじったり窓開けて揺れるカーテン眺めたり、ご飯は上げ膳据え膳、夜もキラキラパジャマを強制されることなく好きな番組見て、とても贅沢に過ごさせてもらった。
この3年間疲れるたびに求めていた、『日常から離れた気持ちになるために家以外での一人ののんびりした時間』を思わぬところで噛み締められたのはちょっと得した気分だった。

そんな間にゴールデンウィークに突入して、早く帰りたいけどあの検査してまたあの地獄の頭痛でゴールデンウィークを潰すのは絶対にいやだった。
来る看護師さん来る看護師さんに「あの頭痛もういやだから腰椎穿刺したくない」と言い続けた。
みんな優しい看護師さんで「わかりました、しないでいい方向に持っていくよう頑張ってみますね!」とか「先生によーく伝えてみますよ!」とか「きっと大丈夫ですよ、つい先月くらいにも髄膜炎で同じような状態で検査せずに帰った患者さんいましたから。その患者さん? 別のことでまた通ってきてるけど、もう髄膜炎はなんともなさそうです」とか言ってくれた。
明日朝血液検査って言われて血を抜かれて朝ごはん食べて、やることもないからぐだぐだテレビ見てたら先生が来て、「血液検査の数値で見て大丈夫そうだから、いつでも退院していいですよ」って言われた。

やったーーー!!
と思った。
でも結局帰っても頭痛はたまに出て、何日もトイレ以外寝たきりみたいな生活してたから、自分の疲れやすさには驚くほどで、ゴールデンウィークはコロコロにいろいろ任せて寝てばかりいた。
大型連休らしい遠出もせず近所くらいしか出掛けなかった。


入院前から高熱でお風呂に入れず、入院中もそんな調子で入るタイミングがなく、結局何日お風呂入らなかったんだろ。
しかも普段の何十倍何百倍も無駄に汗(脂汗)ばっかりかいてたのに。
帰ってすぐお風呂入ったけど、頭を二回洗っても三回洗っても気持ち悪くて、四回シャンプーした。
四回目でやっとすっきり感を感じた。


あっちゃんは最初の頃は病室に来るとすぐ「もうおうちに帰りたいー」と泣いた。
病院という場所もだけど私の顔色の悪さとか空気感とか、いろいろ怖かったんだろうと思う。
毎日コロコロのお母さんやおかんが来て、あちこち連れ出してくれて、いっぱい遊んでくれて、ごはんは好きなものを好きなように少ししか食べなくても怒られないで、楽しく過ごしていたようだった。
『やっばり私がいなくても平気なんだよな』とかなりむやっとした。
けど、私が起き上がれるようになったら「おかあさんもう治ったの? よかったー」とか言いながら、いつもじゃ考えられないくらいベタベタ甘えてきた。
私に抱っこ要求しても長時間くっついていることなんて普段はないのに、その頃はずーっとベッタリで「よかったねえ、おかあさん」って手を握ったり抱きついたりしながら何回も何回も繰り返してた(あんなに私に甘えるあっちゃん見たことなくて幸せだった)。
その場に居合わせたおかんは、そんなあっちゃんを見て「やっぱり寂しかったんだよね、あんたとこんなに離れたことなかったからこの子なりに我慢してたんだよ、どっか行って帰ったり寝て起きるとあんたのこといつも聞いてたんだよ、よかったね、お母さん元気になってよかったね」とかボロボロ泣きながら言ってて、私にベッタリしながらあっちゃんはぽかーんとそれを見てて私は『あー号泣スイッチ入った』と思った。


そんな、そんな日々だった。
思い出したことを何週間もかけて思うように打って、溜め込んでて吐き出したいこと全部好き勝手に吐き出したから、すごく読みづらい。
そして、無駄に長文。

平常運転の平日が始まって、それじゃなくても体力的にもきついけど、私がいない間で朝起きて散歩に出るという習慣を身につけてしまっていたあっちゃんに、更に更に体力的にしんどい。
いろんなリハビリと思って頑張ってるけど、私は鈍って手際が悪くなり、コロコロは異常なほど手際に磨きがかかってて、なんかその差が激しく広がった…。
私居なくても、平気じゃね?
だけど、私がぶっ倒れたら大人が2人日替わりで駆けつけなくちゃならない。私が元気で居ないと。…頑張ってこう。

体重は帰ってきたとき乗ったら、あれだけ飲まず食わずで脂汗かいて苦しんで、入院当初は『水分不足、飢餓状態』とまで言われてたんだから相当痩せたはず!!と期待したのに、結局3キロしか痩せてなくてがっかりした。
入院中の一番酷かったときに測ってたらきっともっと軽くなったタイミングもあったんだろうな。
その一番軽くなったときの重さの数値、今後の向上心のためにも見ておきたかった!
一時的にでも●キロまで戻れるなら、いつかそこをいつもの体重にまで戻せる!と思えただろうから。
でも、それからお菓子を貪るようになってもなんだか増えないまま、ここ最近のいつもの体重マイナス3キロがいつもの体重になってくれたみたいだから、まあ、頑張って乗り越えたかいがあった。のか?